委員 小柳 左門

貝原益軒との出会い

 貝原益軒との出会いは、教養部時代に教えを受けた中国古典の岡田武彦教授でした。岡田先生は儒学の大家であり、貝原益軒の研究では我が国随一でした。岡田先生の著作によって益軒のことを詳しく知るようになりましたが、有難い機縁でした。益軒が『養生訓』を著したのは83歳の晩年で、その総論に「養生の道を学んで、よくわが身を保つべし。是れ人生第一の大事なり」と綴っています。予防医学に重点を置き、養生の教えを生活の細部にわたって記したその内容は、現代でも価値あるものですが、その根本は益軒の儒学者としての実践学問であり、人々への愛情でした。
 益軒は黒田藩の歴史や地理、植物誌、教育など広範な著作を、庶民に分かりやすい漢字仮名交り文で書いています。益軒には22歳年下の東軒夫人がいました。ともに旅をし音楽を奏で、益軒を励ました生涯でしたが、『養生訓』を書き終えるころに愛妻を亡くし、益軒は夫人を追うようにその翌年(1714)に死去したのです。福岡の誇るべき偉人、益軒先生の生涯を是非皆様に知っていただきたいと願っています。


1973年、九州大学医学部卒業。九州医療センター臨床研究部長、都城病院院長、原土井病院院長、原看護専門学校校長を経て、NPO法人ヒトの教育の会理事長、財団法人能古博物館館長。

事務局長 藤野 博史

古里の責任、時代の要請

 今日、貝原益軒の出身地、福岡に養生訓の里ネットワークが発足しました。
益軒の「養生訓」といえば、全国に浸透していますが、地元では活動、動きは点在するものの、広がりが今ひとつでした。それらを線、面にし、連携して顕彰し、研究、交流の成果を上げたい。古里の責任を果たし、時代の要請に応えたい。そんな思いで、有志の方々と準備会を作り、準備してきました。
 新聞記者時代、福岡で医療担当になってから、養生訓は身近なものとなりました。大きかったのは、元福岡大学病院長(耳鼻咽喉科)の故曽田豊二先生と5回ほど開催した市民公開講座「現代の養生を考える」でした。先生の益軒に対する敬意、養生訓に対する共感に影響を受けました。今回の発足は貝原家ご子孫の本家・貝原信紘氏、分家・貝原宗重氏の了解を得て、大きく動き出しました。
 益軒、養生訓の全体像に迫り、人生100年時代への益軒先生からのメッセージとして全国にも伝えていきたいと思います。


ジャーナリスト。日本医学ジャーナリスト協会理事・西日本支部長。元読売新聞記者、医療セミナー事務局長、現代の養生を考える会事務局長。

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