会長 原 寛

300年前に気付いた生活習慣病

 戦後、医療の進歩によって日本は超高齢社会となり、「人生百年時代」となりました。一方で百年をただ生きるのではなく、「健康長寿」である事が本当に望まれる事だと考えます。
 私は、106歳まで現役医師であった故日野原重明先生との出会いから健康長寿の運動を続けてきました。日野原先生は病の原因は加齢のよるものだけではなく生活習慣の乱れにあると「生活習慣病」という言葉を世に広めました。 その事に300年前、既に気付いていたのが貝原益軒です。益軒は自らの生活における実践行動を「養生訓」として著しました。故曽田豊二先生は養生相談室での健康相談など益軒の教えを社会に広めることを実践しておられました。私も益軒の先見性に着目し、現代「養生学」を上梓。現代人の健康長寿における益軒の教えの重要性を訴えてきました。今般発足したこの養生訓の里ネットワークが現代社会に益軒の教えを広め、人生百年を健康長寿とする一助になるよう尽力してまいります。


1963年九州大学医学部卒業。医学博士。67年原土井病院開設。日本慢性期医療協会理事、公私病連盟理事、福岡県慢性期医療協会会長など歴任。

副会長 安藤 文英

曽田豊二がめざした益軒の事跡

 この度有難いご縁をいただき「養生訓の里ネットワーク」設立に当たり、事務局を設置することになりました「曽田豊二文庫」を所有運営しております医療法人西福岡病院理事長 安藤 文英でございます。
 故曽田豊二先生の蔵書約3万冊のご寄贈を受け、病院隣接地で一般公開しております。先生の学問・教養への取り組み、晩年傾注された「養生相談室」の運営にいたる思想の原点が表現されております。それらに日々身近に触れられる僥倖を実感する中、特に先生が見つめておられたのが福岡の誇る貝原益軒であったと気づかされます。先生がその生涯で目指されたものが益軒の事跡にあり、深い思慕の情が表れています。先生を知ることで改めて益軒の偉大さにたどり着くのです。
 先生の貴重な財産をお預かりし、それを継承して参る中で、私どもは新たな価値創造、展開に精進し、先生のご負託にお応えする所存です。


1975年、九州大学医学部卒業。84年、医学博士。99年に西福岡病院理事長に着任。2018年に曽田豊二記念財団理事。19年に曽田豊二文庫運営委員会委員長。

委員 久保 千春

養生訓、心身医学に繋がる

 私は心身相関に興味を持ち、心理社会的ストレスが体のホメオスタシス系(神経・内分泌・免疫系)に及ぼす影響についての研究を行いました。病気は素因と人生体験(環境因子)の結晶です。環境因子は食事、睡眠、運動などの生活習慣や心理社会的ストレス、細菌、ウィルスなどの微生物、放射能、発癌物質などがあります。これらの中で、ストレス、栄養、睡眠が病気の発症や経過に及ぼす影響について基礎研究を行ってきました。自己免疫病発症マウスを用いて通常では10ヶ月で死亡するネズミをカロリー制限(通常飼育の6割のカロリー摂取量の低栄養)することにより、寿命は2倍にさらに脂肪摂取を制限することにより、3倍に延びることを明らかにしました。貝原益軒の七大養生訓の中に“飲食を節して、胃気を養う”、“ 怒りを押さえて、肝気を養う”、“ 思慮を少なくして、心気を養う”などがあり、食事や心理的因子の重要性を述べています。これはまさに心身医学に繋がっています。


1973年九州大学医学部卒業。82年米国オクラホマ医学研究所にて栄養と免疫・老化の研究。93年九州大学心身医学教授。2008年九州大学病院長。14年九州大学総長、20年中村学園大学学長。

委員 小柳 左門

貝原益軒との出会い

 貝原益軒との出会いは、教養部時代に教えを受けた中国古典の岡田武彦教授でした。岡田先生は儒学の大家であり、貝原益軒の研究では我が国随一でした。岡田先生の著作によって益軒のことを詳しく知るようになりましたが、有難い機縁でした。益軒が『養生訓』を著したのは83歳の晩年で、その総論に「養生の道を学んで、よくわが身を保つべし。是れ人生第一の大事なり」と綴っています。予防医学に重点を置き、養生の教えを生活の細部にわたって記したその内容は、現代でも価値あるものですが、その根本は益軒の儒学者としての実践学問であり、人々への愛情でした。
 益軒は黒田藩の歴史や地理、植物誌、教育など広範な著作を、庶民に分かりやすい漢字仮名交り文で書いています。益軒には22歳年下の東軒夫人がいました。ともに旅をし音楽を奏で、益軒を励ました生涯でしたが、『養生訓』を書き終えるころに愛妻を亡くし、益軒は夫人を追うようにその翌年(1714)に死去したのです。福岡の誇るべき偉人、益軒先生の生涯を是非皆様に知っていただきたいと願っています。


1973年、九州大学医学部卒業。九州医療センター臨床研究部長、都城病院院長、原土井病院院長、原看護専門学校校長を経て、NPO法人ヒトの教育の会理事長、財団法人能古博物館館長。

事務局長 藤野 博史

古里の責任、時代の要請

 今日、貝原益軒の出身地、福岡に養生訓の里ネットワークが発足しました。
益軒の「養生訓」といえば、全国に浸透していますが、地元では活動、動きは点在するものの、広がりが今ひとつでした。それらを線、面にし、連携して顕彰し、研究、交流の成果を上げたい。古里の責任を果たし、時代の要請に応えたい。そんな思いで、有志の方々と準備会を作り、準備してきました。
 新聞記者時代、福岡で医療担当になってから、養生訓は身近なものとなりました。大きかったのは、元福岡大学病院長(耳鼻咽喉科)の故曽田豊二先生と5回ほど開催した市民公開講座「現代の養生を考える」でした。先生の益軒に対する敬意、養生訓に対する共感に影響を受けました。今回の発足は貝原家ご子孫の本家・貝原信紘氏、分家・貝原宗重氏の了解を得て、大きく動き出しました。
 益軒、養生訓の全体像に迫り、人生100年時代への益軒先生からのメッセージとして全国にも伝えていきたいと思います。


ジャーナリスト。日本医学ジャーナリスト協会理事・西日本支部長。元読売新聞記者、医療セミナー事務局長、現代の養生を考える会事務局長。

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