益軒、学習地の碑

●所在地/福岡県飯塚市八木山2249

 父寛斎は益軒が生まれた翌寛永8年(1631年)年、博多片原町に、同13年(1636年)、博多袖の湊(現・博多築港)に、同14年(1637年)には福岡の東方3里、八木山峠(現・飯塚市)の知行所に一家転住します。益軒8歳の時でした。益軒は四方、山に囲まれた侘び住まいで11歳まで3年を過ごします。そこに貝原益軒学習地の碑が建っています(福岡県飯塚市八木山2251)。
 幼少から利発で、独学で文字を覚え、書を読み、一方、転居しながら庶民や自然の中で多感な時代を過ごし、父、兄たちの薫陶を受けて成長しました。益軒の原点の一つを作ったところかも知れません。
 その後、父に従って福岡・新大工町、怡土郡伊原村に赴いたのをはじめ、薬院、唐人町、荒津山(現・西公園)に転居を繰り返し、慶安元年(1648年)19歳の時、2代藩主忠之に御納戸御召料方として、初めて召し抱えられました。しかし、怒りにふれて2年で免職。以後7年間、20代のほとんどを浪人暮らしで送ります。
 明暦2年(1656年)、3代藩主光之に招かれ、復職します。文治主義体制へ転換を遂げる藩政、取り立ててくれた藩主、時代の変化を得て、不遇の時代を脱し、益軒の活躍が始まります。

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