養生訓の里 ネットワーク
 筑前・福岡は養生訓を著した貝原益軒が生まれ、生涯現役で84歳まで生き抜いた古里です。 地域のあちこちに益軒ゆかりの史跡が残り、益軒の風韻が偲ばれます。いわば「養生訓の里」。 そこにかかわる史跡、施設、人々をつなぎました。それが養生訓の里ネットワークです。2024年12月17日、発足しました。  益軒はまた、郷土の地理や歴史、植物学、教育学など 「日本のアリストテレス」と言われた「万学の祖」でした。 地元にはいろんな学問の小さな資料館があります。 それらも益軒にちなみ、「里の小さな資料館」として紹介しています。  2030年に、貝原益軒生誕400年を迎えます。 人生100年時代の先達を地元で顕彰し、全国の養生訓に関心を寄せる皆様とともに、 交流を深め、成果を全世代の健康長寿に生かしていきたいと思います。 (事務局 福岡市・曽田豊二文庫)
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貝原益軒銅像(福岡市中央区今川2−3−23、曹洞宗「金龍寺」境内)
貝原益軒肖像画(狩野昌運筆)。元禄7年(1694年)、65歳の時。自ら依頼したとされる。
貝原益軒は1630年生まれ。 2030年は生誕400年

お 願 い

 「非営利団体 曽田豊二記念 養生訓の里ネットワーク」は、曽田豊二が医学者として生涯畏敬した貝原益軒の顕彰を進めるため、以下に述べる運営委員会が中心となり、地元で結成された団体です。当団体は、一般財団法人曽田豊二記念財団の助成を一部受けています。この活動を全国に呼びかけ、趣旨に賛同される方々、団体の参加を募ります。

 このホームページは、井上忠著「貝原益軒」(吉川弘文館・人物叢書103。1963年初版〜1980年4版)、岡田武彦「貝原益軒」 (明徳出版社・岡田武彦全集23。2012年初版)などを参考にまとめました。 多くの皆さんのご意見、情報提供をお待ちしています。

貝原益軒と養生訓

 貝原益軒/「養生訓」で有名な貝原益軒(1630~1714年)は筑前・福岡藩の儒学者、本草学者です。福岡藩士の子として生まれ、江戸中期に活躍しました。著書は医学・薬学、儒教、民俗、歴史、地理、教育など多方面に及び、生涯で60部270余巻に達します。
 80歳を超えても執筆し、生涯現役を実践しました。学者の名声を確立する一方、益軒十訓と呼ばれる大衆教訓書を書きました。人生のほとんどを貝原損軒として生きました。益軒に改号したのは78歳頃です。

 養生訓/益軒が心身の調和と生活習慣に目を配り、健康長寿実践の書として83歳で著しました。生来体が弱く、健康に注意しました。夫人も蒲柳の質で、結婚後は共に養生に留意し、長年連れ添いました。
 医学、本草学の知識、体験を元に8巻から成ります。総論(巻1・2)、飲食(巻3)、飲食・飲酒・飲茶・慎色慾(巻4)、五官・二便・洗浴(巻5)、慎病・択医(巻6)、用薬(巻7)、養老・育幼・鍼・灸法(巻8)を平易に和文で書きました。以来、長く読み継がれています。

【貝原益軒の生涯】
生誕=1630年12月17日(旧暦寛永7年11月14日)。
   6年後の2030年は生誕400年。
没年=1714年10月5日(旧暦正徳4年8月27日)。
   益軒忌8月27日。

益軒・東軒夫妻
「琴瑟相和し、健康長寿めざした45年」

 益軒は39歳の寛文8年(1668年)6月26日、支藩秋月藩の藩士、江崎広道の娘、初(17歳)を妻に迎えました。後の東軒夫人です。年の差22歳と親子ほど離れていますが、琴瑟(きんしつ)相和すとでもいうかのように仲睦まじかったようです。しかし、残念ながら子宝には恵まれませんでした。ともに体が弱く、健康に気をつけて過ごしながら、45年間連れ添いました。

 その間、夫妻は琴、箏などの楽器や書(東軒は楷書が得意でした)を共にし、京都へも2度、徒歩旅行を一緒に楽しみました。益軒の原稿の手伝いなども行ったようで、東軒夫人の内助の功も指摘されています。

 正徳3年(1713年)12月、東軒が62歳で亡くなると、益軒も後を追うように8ヶ月後の翌正徳4年(1714年)8月、84歳で永眠しました。

 養生訓の里ネットワークでは、これまであまり触れられることがなかった東軒に迫り、益軒・東軒夫妻の人生を追っていきたいと思います。

同じ大きさで仲良く並んだ貝原益軒の墓(右)、東軒の墓(左)。金龍寺境内で
その他の写真

Map

地  図

養生訓の里マップの見方

 貝原益軒が生まれ育った筑前・福岡(福岡市と近郊)のゆかりの地を紹介します。 生誕の地、成長・学習期を過ごした地、家族とともに転居した土地、東軒夫人生誕の地、主君に賜った夫妻終の住処、仲良く永眠する菩提寺....。 また、益軒、養生訓などの資料を保管展示する郷土の資料館、里の小さな資料館。 マップの🎈をクリックすると、施設名、住所、交通アクセス、散策路などが出てきます。

ご挨拶

(運営委員会)

創設賛同者

【個人】
小林  晶福岡整形外科病院顧問
日本整形外科学会名誉会員。元日仏整形外科学会会長、福岡日仏協会会長、九州大学整形外科助教授
江頭 啓介さくら病院理事長
元福岡市医師会長
中島 康晴九州大学整形外科教授
東嶋 和子科学ジャーナリスト
「水も過ぎれば毒になる 新・養生訓」(「文藝春秋」連載後、文春文庫から出版)
外 須美夫佐賀国際重粒子線がん治療財団理事長
九州大学名誉教授(麻酔・蘇生学)、九州大学医学部同窓会長
ヴォルフガング・ミヒェル九州大学名誉教授(東西文化交渉史)
日本医史学会名誉会員、元日本洋学史学会会長

Purpose

目  的

【団体の設立と事業】

(名称)非営利団体 曽田豊二記念 養生訓の里ネットワーク
(目的)貝原益軒、養生訓の顕彰。益軒の故郷が健康長寿実践の里となるよう、連携し、周知する。益軒が日本のアリストテレス(万学の祖)と言われる事にちなみ、小さな民間博物館・資料館、文庫などの連携も図る。
(事務局)福岡市西区生の松原3丁目18−3、曽田豊二文庫に置く。
(事業)
1.ネットワークの整備(史跡やゆかりの地、関連施設・関連団体、関連書籍を把握。埋もれた史跡の発掘)
2.ネットワークのホームページ、Facebook開設と運用(双方向性で運営。関連施設サイトとリンクさせる)
3. 下記のイベントなどを行う。
 (1)(未病、食、生活、心療内科などをテーマに)シンポジウム開催
 (2)市民参加の「養生訓」啓発フォーラム
 (3)「養生訓のススメ」健康づくりイベント
 (4)(養生訓を読み解く) 読書会、勉強会
 (5)養生訓朗読会(声に出して読む養生訓=言葉の持つ治癒力体験)
4. 無料健康相談「養生相談室」の再開
5. 私的図書館、文庫の現状と未来を考える連携網づくり
6. 他の同好の団体との交流
7. ネットワークの周知、発信(リーフレット、マップなどの作成)
8.ネットワーク定期刊行物の発行
9.本ネットワークの目的を達成するに必要な事案

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