養生訓の里ネットワーク準備会の活動が始まった2024年春、福岡県宮若市の脇田温泉「楠水閣」入り口付近で見かけた「脇田温泉の由来」説明板。なんと、そこに貝原益軒先生の名前がありました。
「若宮物語」の著者、郷土史家の石松清が書いています。
「温泉の沿革は古く黒田藩の学者貝原益軒が国内を巡歴する時 当地を訪れ元禄十六年(紀元1703)に著した筑前続風土記に次のように記している。『脇田村の西のはづれに温泉流出し間近く二ヶ所あり その上に薬師堂あり その辺の田の字を湯寺という。湯原は脇田の川向いなればこの所も温泉ありて湯原と名付けるらし』」
益軒先生。筑前国も風土記づくりで歩いています。略年譜(井上忠氏作成)によれば、その年11月、筑前国続風土記が完成し、藩主綱政公に献じていますが、同年2月には武蔵温泉(現在の二日市温泉)に浴し、秋月を経て帰る、とあります。よく歩いた益軒先生、疲れは温泉で癒したのかも知れません。
益軒先生は江戸、京都、長崎などの遠方はもとより、筑前国内を隈なく歩いています。その足跡を探すのも楽しみです。足跡情報をお待ちしています。(藤野博史)