福岡市博物館

福岡市博物館で開催した特別展「益軒・南冥と筑前の学者たち」(2014年)の解説リーフレット PDF

●所在地/〒814-0001 福岡県福岡市早良区百道浜3丁目1−1
 tel: 092-845-5011

貝原益軒 人となり

福岡城内で生まれる

「養生訓」で有名な貝原益軒は筑前・福岡藩の儒学者、本草(中国古来の薬物)学者です。大坂夏の陣から15年、江戸時代初期の寛永7年(1630年)12月17日、福岡藩士・祐筆の貝原寛斎の末っ子五男として、福岡城内の東邸で生まれました。

30歳前までは苦難の半生

 博多、飯塚、糸島などと転居しながら庶民や自然の中で多感な時代を過ごし、父、兄たちの薫陶を受けて成長。19歳の時、(家老栗山大膳と黒田騒動を起こすなど)剛果峻烈な気性の2代藩主忠之に仕えるも怒りにふれて2年で免職。長崎遊学などを経た7年後、温厚篤実の3代藩主光之に招かれ、復職します。

復職~藩の中心学者へ

 以降、藩の中心学者として「黒田家譜」「筑前国続風土記」などを著す一方、江戸・京都をはじめ全国の名高い学者と交流し、理系・文系こだわらず、医学、本草学(薬学)、経学(儒教の研究)、民俗、歴史、地理、教育学など多方面に知識を広げ深めていきました。

万学の祖、日本のアリストテレス

 その多面的な知識の広がりは江戸末期、日本を訪れたシーボルトから古代ギリシアの哲学者、万学の祖とされるアリストテレスになぞらえて、「日本のアリストテレス」と称賛されたほどです。

40歳結婚。71歳辞職、80歳著作

 40歳目前に結婚。71歳で辞職を許されるまで、学識・見識で藩主に応えました。辞職後は著作に傾注し、80歳を過ぎても「大和本草」「和俗童子訓」「養生訓」などを著し、著書は生涯で60部270余巻に達しました。

旅好き。京都、江戸、長崎へ

 益軒は旅好きで公私合わせて、京都へ24回、江戸へ12回、長崎へ5回行き、高名な学者たちと交流し、見聞を広めました。歩くのが好きで、ウオーキング健康法の先駆者かも知れません。心身の調和と生活習慣にも目を配りました。

大半を「損軒」で生き、「益軒」改号は78歳

 ところで、「益軒」の号があまりに有名ですが、最初は「損軒」と号して人生の大半を過ごし、「益軒」に改号したのは晩年の78歳頃とされています。「損から益」への改号。その意図には興味をそそられます。

22歳の年の差、45年添い遂げる

 結婚は益軒39歳、東軒夫人17歳で結婚。22歳の年の差だったが、仲睦まじく、45年間連れ添った。益軒は好奇心旺盛で、東軒夫人にもいろいろ教えるなど教育熱心でした。共に病弱から健康長寿を果たし、夫婦相和し、楽しく、日々の喜びを味わいました。まさに二人三脚の人生の達人と言えるかも知れません。

 東軒夫人が62歳で亡くなると、益軒も翌年、84歳で亡くなりました。

貝原益軒略年譜

 旺盛な好奇心で藩の内外を歩き抜き、学友と交流した益軒その日常の動きが垣間見られる略年譜は井上忠著「貝原益軒」(吉川弘文館)に24頁にわたって詳しく掲載されています。目で追うと、行間から益軒の日々が立ち昇ってきます。
 この頁の略年譜は2014年、福岡市博物館で開催した特別展「益軒・南冥と筑前の学者たち」の解説リーフレットに掲載した年表(リンク)を元に作成しました。

世界が注目する貝原益軒

 1994年、「東アジアの伝統文化国際会議」が福岡市で開かれ、初日のシンポジウム「貝原益軒を考える」で、米コロンビア大学名誉教授、ウィリアム・セオドア・ドバリー氏が「世界的評価を受ける貝原益軒」と題して基調講演しました。その時の喜びを、主催者の岡田武彦・九州大学名誉教授は「郷土の誇り健康の父 貝原益軒を考える大集会」と銘打っています。
 また、江戸時代、来日したシーボルトは「益軒はギリシャのアリストテレスに勝るとも劣らない大学者」と絶賛したと伝わっています。益軒が「日本のアリストテレス」「東洋のアリストテレス」と言われる所以です。

作成者ドバリー, W・T
De Bary, William Theodore
所属機関名:コロンビア大学名誉教授
本文言語日本語
出版者九州大学中国哲学研究会
発行日1994-10-10
収録物名中国哲学論集
20

家系図

 井上忠著「貝原益軒」(吉川弘文館)、貝原守一医学振興財団のホームページに掲載されています。

養生訓の催し

(1)(未病、食、生活、心療内科などをテーマに)シンポジウム開催
(2)市民参加の「養生訓」啓発フォーラム
(3)「養生訓のススメ」健康づくりイベント
(4)(養生訓を読み解く) 読書会、勉強会
(5)養生訓朗読会(声に出して読む養生訓=言葉の持つ治癒力体験)

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    「養生訓」書籍の紹介

    「養生訓」に関する書籍をリストアップしていきます。

    ●貝原益軒(石川謙校訂)「養生訓・和俗童子訓」岩波文庫
    ●貝原益軒(松田道雄訳)「養生訓」中公文庫
    ●貝原益軒(伊藤友信訳)「養生訓 全現代語訳」講談社学術文庫
    ●帯津良一「現代養生訓」春秋社
    ●立川昭二「すらすら読める養生訓」講談社

    趣意書

    「養生訓の里ネットワーク」づくり趣意書(案)

    2024年10月09日 
    養生訓の里ネットワーク設立準備会

     福岡市は江戸時代、正徳2年(1712年)、福岡藩の本草学者・藩医、貝原益軒(1630~1714年)が古来の健康法をまとめた「養生訓」を生んだ場所です。
     幼少の頃、体が弱かった益軒は健康に留意して暮らし、84歳まで生涯現役を全うして健康長寿を実践しました。22歳下の妻、東軒と京都に徒歩旅行をするなど、よく歩きました。
     死の前年の83歳の時、その実践の書、「養生訓」を書き著し、人々へ公開しました。311年前の快挙です。
     以来、多くの日本人に影響を与え、支持を得てきました。近年の超高齢社会にあっては、健康指南書の代名詞ともなっています。
     ところが、貝原益軒、「養生訓」を生んだ地元にあって、これを伝え、顕彰する芽は散見されますものの、点在しているのが現状です。

     ここに、地元にある関係者・関係施設が一堂に会して益軒を顕彰し、益軒が生まれ、健康に留意しながら生き抜いた古里が健康長寿実践の里となるよう、「養生訓の里ネットワーク」をつくって連携し、その目的を達成するよう、努めたいと思います。
     趣意書を著し、賛同される方々の参加を募ります。

    【団体の設立と事業】(案)

    (名称)非営利団体曽田豊二記念 養生訓の里ネットワーク(仮称)
    (目的)貝原益軒、養生訓の顕彰。益軒の故郷が健康長寿実践の里となるよう、連携し、周知する。益軒が日本のアリストテレス(万学の祖)と言われる事にちなみ、小さな民間博物館・資料館、文庫などの連携も図る。
    (事務局)福岡市西区生の松原3丁目18−3、曽田豊二文庫に置く。
    (事業)
    1.ネットワークの整備(史跡やゆかりの地、関連施設・関連団体、関連書籍を把握。埋もれた史跡の発掘)
    2.ネットワークのホームページ、Facebook開設と運用(双方向性で運営。関連施設サイトとリンクさせる)
    3. 下記のイベントなどを行う。
     (1)(未病、食、生活、心療内科などをテーマに)シンポジウム開催
     (2)市民参加の「養生訓」啓発フォーラム
     (3)「養生訓のススメ」健康づくりイベント
     (4)(養生訓を読み解く) 読書会、勉強会
     (5)養生訓朗読会(声に出して読む養生訓=言葉の持つ治癒力体験)
    4. 無料健康相談「養生相談室」の再開
    5. 私的図書館、文庫の現状と未来を考える連携網づくり
    6. ネットワークの周知、発信(リーフレット、マップなどの作成)
    7.ネットワーク定期刊行物の発行
    8.本ネットワークの目的を達成するに必要な事案

    (設立準備会)以下で構成する。※50音順。
    安藤文英(西福岡病院理事長、曽田豊二文庫運営委員長。元養生相談室事務局)
    久保千春(中村学園大学学長。前九州大学総長、元九州大学病院長)
    小柳左門(ヒトの教育の会理事長、能古博物館館長。元国立病院機構都城病院院長)
    原 寛 (原土井病院理事長、日本医史学会福岡地方会会長、天神養生処主宰)
    藤野博史(日本医学ジャーナリスト協会理事・西日本支部長。元現代の養生を考える会事務局長)

    (以下の項目などについて、準備会で原案を作成する)

    (組織)〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
    (役員)〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
    (任期)〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
    (設立日)2024年12月17日(予定)

    (設立記念フォーラム)〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

    【貝原益軒の生涯】1630~1714年
    生誕=1630年12月17日(旧暦寛永7年11月14日)。
       6年後の2030年は生誕400年。
    没年=1714年10月5日(旧暦正徳4年8月27日)。
       2024年は没後310年。
    ※益軒忌 8月27日。

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